しつこいかもしれないが平成最後の夏がやってくる
しつこいかもしれないが平成最後の夏がやってくる。
いわずもがな天皇退位により、「平成」の元号が来年の春ごろ終了する。
だから平成最後の夏なのだ、今年が。
「平成最後の○○」というテンプレが蔓延しつつあるなかで、
迷惑がられるタイトルかもしれないがどうしても言ってみたかったんだ。
「平成最後の夏がやってくる」と。
過ぎ去ってしまうのに、来てしまう夏。
季節なんだから、と一蹴されればそれまでだが、
「平成最後の」という限定要素が、より一層に夏の刹那的な季節感を強調しているように思う。
「平成最後のアプリ」、「平成最後のクレジット決済」、「平成最後のおしっこ」、「平成最後のオールスターファン感謝祭」
どれもしっくり来ない。「平成最後の○○」の「○○」部分の恒久性が高すぎるのだ。
どうせ半永久的に森脇健司は赤坂五丁目を汗だくで走るんだろう、というステレオタイプなイメージが強すぎるがゆえに「平成最後の」というキーワードを生殺しにしてしまっている。
逆に、
過ぎ去ってしまうのに、来てしまうものを当てはめるとしっくりくる。
「平成最後の恋」、「平成最後の看取り」、「平成最後の出産」、「平成最後の出勤」
・・・
「平成最後の」は、
すぐに飽和状態になってしまうだろうが優れた慣用句であることは間違いない。
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